保育士の言葉かけが子どもをプロスポーツ選手に導く?!【自己紹介】

初めまして!

ポーラスターのお茶コーチこと髙橋亮祐です。

現在、ぼくは静岡県内を中心に幼稚園、保育園、こども園に訪問し、乳幼児の運動あそび指導をしています。

  • 子ども向けスポーツ運動あそびプログラム
  • おとな向けプログラム
  • 子ども遊具の提供

主に3つのプログラムを展開しながら大人も子どもも楽しい運動あそびをモットーに関わらせてもらっています。

今の仕事をする前は、プロフットサル選手・小中学校支援員や講師・会社員・個人事業主と様々な仕事を経験させてもらってきました。

そんなぼくが、なぜ今、乳幼児の運動あそび指導をしているかというと保育園に通っていた時に先生からかけられた言葉がずっとぼくの心の中に残っているからなんです。

保育士の仕事ってものすごく魅力的だと思うんです。

だって、ぼくは年長のときにかけてもらった言葉がすごく嬉しくてプロフットサル選手までなることができたんですから。

目次

シュートを褒められサッカーが大好きになった

園庭で友だちとサッカーをして遊んでいて、ボールをゴールにシュートした時に

先生

りょうちゃん、すごい!!!そんなスゴイシュート打てるんだね!

と、言葉をかけてもらったことが嬉しくてサッカーが好きになり、それから20年以上ボールを蹴り続けています。

サッカーがあることで人生を切り開いていったようなモノで高校、大学は良い悪いは置いておいてスポーツ推薦で進学。

プロサッカー選手になり、サッカー日本代表選手になることを本気で目指していました。

途中プロサッカー選手になることは諦めましたが、プロフットサル選手として2年間活動できたことは、保育園に通っていた時に先生にかけてもらった言葉がなければなかったことです。

今も楽しく仲間とビーチサッカーができていること、本当にぼくの人生に大きすぎる影響を与えてくれています。

ぼくがプロ選手になれたことがスゴイと言いたいのではなく、幼少期の大人の言葉かけが目の前の子どもにとって大きな大きな影響を与える可能性を秘めているということを知ってほしいんです。

たった1つの言葉かけでぼくはサッカーが大好きになり、諦めることなくプロ選手になれました。

保育士の言葉かけは目の前の子どもの可能性をグンっと広げる魔法のような力を秘めている思うんです。

それでは、ぼくのこれまでの軌跡をぜひ、ご覧になってください。

サッカーとの出会い

寂しい思いをした幼少期のぼく

4人兄弟の長男として生まれ、上に姉、ぼく、弟2人。両親は共働きだったため、おじいちゃん、おばあちゃんにもよく面倒をみてもらっていた。

ただ、年子の弟、5つ下の弟ができてからはお母さんの優先順位は弟たちへ。

寂しい想いをすることが多くなった。

もちろん、健康な体に産んでくれた両親には感謝しきれない。

だって毎日、仕事で体を動かしながらをしながら現役でビーチサッカーをさせてもらっているんだから。

間違いなく両親のおかげ。ありがとう。

先生の言葉でサッカーが楽しいと感じた6歳のぼく

さみしい想いをすることが多くなった幼少時代にぼくの人生に大きな影響を与えてくれた出来事があった。

冒頭でも伝えさせてもらった先生からの言葉。

保育園に通っていた頃、園庭で友だちとサッカーをしていた時にゴールに向かってシュートした時に

先生

りょうちゃん、すごい!!!スゴイシュート打てるんだね!

幼稚園や保育園のでは、よくある日常の中の一場面かもしれない。

でも、この言葉でぼくのセカイは一変した。

お茶コーチ

サッカー楽しい!!!

この気持ちが全身にドカン!と残ったことで幼少期のぼくは、友だちの誘いで地元の少年団でサッカーをはじめ、それ以来サッカーを25年以上も続けている。

サッカー日本代表選手を本気で目指す

サッカー少年団から大学サッカー部へ

先生のおかげで7歳から初めたサッカーのとりこになり、小学校6年生のころにはおかげで市の選抜チームや国際大会に出場することができた。

中学はセレクションに合格しJリーグの下部組織へ入団。

高校はJリーグのユースチームではく、高校サッカー選手権に憧れ高校サッカー部へ。

高校サッカー部は、表の華やかさとは裏腹に想像以上に過酷だったが、自分のポジションを勝ち取り、2年生からスタートメンバーに選んでもらえるようになった。

高校の進路を決める時は、プロサッカー選手になること、その後は指導者になることを目標に大学へ進学。

大学のサッカー部の監督はU-17サッカー日本代表の元監督で高原選手(沖縄SV)や小野選手(コンサドーレ札幌)を率いた名称だった。

大学進学後、高校の時にたまたま読んでいたサッカーのテクニック本に監督の推薦文があることに気づき縁を感じた。

高校の体育で急にサッカーの指導を任される

ちなみに高校の体育で先生から

髙橋、今度の体育のサッカーはお前が指導しろ。今度指導案を出すように。

と急に言われ、指導したことが初めての今の仕事に繋がっているかもしれない。

ただ、半分先生もさぼりたかっただけだったのかもしれないが、

指導っておもしろいかも

と感じたことは今でも覚えている。

プロサッカー選手を諦めプロフットサル選手へ

フットサル選手を目指した理由は異次元な後輩のヘディングシュート

大学サッカー部では1年生からトップチームに帯同させてもらい苦しい時もあったがプロ選手を毎年輩出しているレベルのサッカーは刺激的だった。

大学サッカー部のトップチームで活躍してプロサッカー選手へと本気で思っていたが、大学3年生のときぼくの中で大きな事件がおこった。

1つしたのBチームみたいに位置づけられている紅白戦ので後輩の1年生(現在Jリーグで活躍中)に頭3個分くらい上からヘディングシュートを決められた。

自分の中のリトル髙橋が

サッカー選手無理はもう無理じゃね。フットサルに力いれたら?

と言われた気がして、大学サッカー部に入部したのと同じ時期に大学サッカー部の監督のすすめで始めた社会人フットサルチームに本格的に力を入れるようになった。

フットサルチームのセレクション合格とプロ選手へ

大学4年生の冬、まだ進路が決まっていなかったが地元のフットサルチームが日本フットサルリーグ(通称Fリーグ)に参戦することを知り、セレクションへ参加。

セレクションに合格したら選手を続けよう。ダメだったらサッカー部の監督に進められていたベトナム留学もしよう。

なんて、ことを思っていた。

セレクション当日は、フットサル界の巨匠と言われているブラジル人監督が視察していた。

紅白戦で複数ゴールをあげ、監督にも高い評価をもらえ見事合格をもらえた。

世界的に有名なフットサルの監督に認めてもらえたことは選手として何よりの自信になった。

世界を知る一流の指導者からの4年間の学び

大学主催のキッズフェスティバルで大学サッカー部の仲間と一緒にキッズリーダーとして活躍。

キッズ年代(幼児期)の子どもたちを楽しませてこそ一流の指導になれる

大学では選手としてサッカーとフットサルの他にも中学校、高等学校保健体育教員免許の取得、近隣の保育園や幼稚園へのキッズサッカー指導など指導者としてもたくさんの学びを得た。

大学主催のキッズプログラムフェスティバルでは、サッカー部の仲間と共に現大学サッカー部の監督(入部当初の監督とは入れ替わり)であり、なでしこジャンパンW杯優勝を果たしたコーチ、元サッカー日本代表選手と、総勢1,000以上のキッズたちへ運動あそびを指導させてもらった。

世界で活躍した一流の指導者の方々と同じ環境でキッズ指導ができたことは今の指導にも生きている。

キッズ年代(幼児期)の子どもたちを楽しませてこそ一流の指導になれる

この言葉は今でもしっかりと胸に刻まれている。

大学1年生のときにサッカー部の先輩に誘われて、始めた幼稚園、保育園、こども園へサッカーを中心とした運動あそびの巡回指導は卒業する頃には、4年間で述べ3,000人以上(合計したら多分このくらい)になっていた。

ここでの経験が指導者としての大きな土台となっている。

この時、毎日こんな楽しいことが仕事になればなあとぼんやり考えるようになった。

充実しすぎていた大学4年間の経験

  • 半ば諦めた大学サッカー
  • 元フットサル日本代表候補GKで破天荒監督との社会人フットサル
  • 先輩の誘いで4年間幼稚園、保育園、こども園への運動あそび指導
  • 将来を見据えて保健体育教員免許取得
  • 3週間、母校での楽しい教育実習も経験
  • 風呂屋、フットサル場でのアルバイト
  • 関西の大学だったため、笑いを教えられる

大学4年間は、サッカーを中心に色々なコトに挑戦し、本当に充実していた。

いつも遠くから応援にきてくれていた両親には頭が上がらない。

本当にありがとう。

大学卒業後はフットサル選手の道へ

左がチーム幹部。右がぼく。髪型がマリモw

イタリアフットサルセリエA2への挑戦

卒業後は社会人フットサルチームの破天荒監督のもとで鍛えられおかげで、Fリーグ(フットサル日本トップリーグ)のセレクション(入団テスト)に合格し、フットサル選手として活動することを選択。

大学卒業時には、青年海外協力隊へ応募、ベトナムへのサッカー指導者留学、大学院への進学、保健体育の教員の道など色々な選択肢があった。

でも、

選手として自分はどこまで挑戦できるのか?

自分の可能性を知りたくなりフットサル選手としての道を選んだ。

フットサル選手としては1年間国内でプレー後、憧れが強かった海外へ挑戦することを決意し、単身イタリアへ。

ここでも入団テストを受け、実力を認められ契約を交わしてもらうことができた。

所属したクラブは、イタリアフットサルセリエA2(実質2部)のレッジャーナ(イタリア北部)というチーム。

世界最候峰のセリエAの舞台に立てれることが決まったと思うと、当時は気持ちの高ぶりを抑えることが出来なかった。

イタリアでプレーする厳しさを肌で感じた1年間

しかし…その気持ちの高ぶりも束の間、プロの世界、それも海外の厳しさを味わうことに。

約1年間チームに在籍しましたがクラブの資金難で当初の契約の金額が支払われず極貧生活を経験。

何回もクラブ幹部に直談判し「給料を支払ってくれ」とお願いするも10分の1以下の給料しか支払われず…

イタリア時代は本当に苦しい時期だった。

後にイタリアのチームメイトから聞いたら所属していたクラブは経営難で吸収合併していたことがわかった。

結局、移籍の手続きで問題があり、公式戦には1試合も出場することができず帰国。

トレーニングマッチで監督や仲間から信頼を得ていただけに凄く悔しい想いをした。

イタリア人ブラジル人選手のメンタリティを感じる

それでもイタリアでの経験は人生の中で本当にかけがえのない時間になった。

イタリアの文化、言語、宗教に肌で触れればふれるほど、自分の中の価値観がガラッと変わった。

今までの自分の常識が良い意味でガタガタと崩れていった。

フットサルで言えば世界で戦うイタリア人やブラジル人たちは、フットサルの技術もさることながら、自分の感情をものすごい勢いで表現していた。

自分はこう思っているんだ!

いや、おれはこうだ!

自分の意思をハッキリと主張する、感情を込めて自分を表現する。

そんな人間が多かった。

そして、人の暖かみを心から感じた。

みんな毎日を楽しそうに過ごしていて、目が合えばニコッと笑い、チャオ!と気軽に挨拶する。

親しい中ならハグ、深い挨拶はほほとほほを合わせて相手を感じる。

そんな雰囲気を一文字で表すなら愛。

だとぼくは感じている。

イタリアと言う国に愛にあふれていた。

イタリア発!レッジョ・エミリア・アプローチとの出逢い

そんな大変だったイタリア時代でも運命的な出会いもあった。

ぼくが住んでいたレッジョ・エミリア市にはレッジョ・エミリア・アプローチという世界的に有名な幼児教育法があるのを知り、大学時代の運動あそび指導の記憶が鮮明に蘇ってきた。

図書館に行き、イタリア語の辞書を片手に資料を調べレッジョ・エミリア・アプローチの考え方に感銘を受けたのを今でも鮮明に覚えている。

教育は教え込みではなく、個性を引き出し、認め、導いていく、そして子どもたちから溢れ出す創造性を大人も一緒に大切に育んでいくという考えに物凄く共感した。

レッジョ・エミリア市のそういった幼児教育法の効果なのか分からないが18歳以下のカテゴリーの選手とたちの練習を観る機会があったとき監督やコーチにもハッキリと自分の意見を伝える場面が多く見らた。

上手い下手は関係なく、どの選手も自分の意見をしっかりと持っていると感じることが多かった。

もちろん文化の違いが一番大きいと思ったが、自分が18歳の頃、指導者に対して自分の意見を言ったことはほとんどなかった。

無念の日本へ帰国から教員へ

跳び箱が跳べない男の子

日本に帰国後は、大学時代に取得した中高保健体育教諭免許を活かし小学校学級支援員、中学校常勤講師を約1年半経験。

縄跳びが一回も跳べない小学1年生、跳び箱5段を跳べない中学1年生の子、運動能力がピカイチでなんでも楽しめる子、色々な子を目の当たりにして心と体の両面で運動格差の広がり感じた。

できる、できないよりも失敗しても何度も挑戦する心やできなくても楽しめる心が何だか育っていない気がするなあと感じることも多々あった。

小学校の楽しい体育、中学校での規律を重んじる体育、違った雰囲気の体育を経験。

どの年代も楽しいが一番にくるような体育になれば生涯、運動がキライになる人は減るんではないかなと感じた。

運動・スポーツで心と体を育む

別にスポーツ選手にならないから運動をしなくてもいい、スポーツをしなくてもいい。

そんな声や意見も少なくない。

でも、運動やスポーツは人生を豊かにしてくれると確信している。

運動やスポーツの中で培う小さな成功体験や達成感は将来につながるかけがいのない体験。

それが一人の子を大きく強く成長させてくれる。

ぼく自身も幼少期の運動や体を動かすあそびの体験が今につながっていると実感している。

運動・スポーツを楽しむことは子どもにとってかけがえのない経験であり、成長していくうえでは欠かせない。

認めてもらったり、ほめてもらったり、喜怒哀楽の感情を思いっきり出したりする経験が少ないと将来社会に出て、何か壁にぶつかったとき自分なりの道の切り開き方を見つけることが難しいかもしれない。

でも、大人が子どもらしく思いっきりスポーツや運動を楽しむ環境(物的・人的)をつくることができれば簡単。

広告代理店の営業職の経験

いきなり広告代理店の営業?

と思う人もいるかもしれないけど、理由が3つあった。

  • 大学時代の親友に薦められた本の著書の出身が広告代理店で会社員として働くなら広告代理店と決めていたから
  • 商品やサービスの魅力を人に届けるために必要な魅せ方、伝え方を学べると思ったから
  • スポーツ選手と教員から知らないセカイに挑戦し営業という仕事をやってみたかったから

TVCM・ラジオCM・WEB制作や企業のプロモーションやちょっとしたモデル役や声の出演など広告代理店ならではの経験をさせてもらった。

おかげで培ったスキルは今でも活かされている。

リーベ式運動あそびプログラムとの出会い

営業職をしながらもぼくは子どもの運動あそび指導のことがふと頭によぎった。

きっかけは大学サッカー部の先輩が運動あそび指導者として独立したことをSNSで知ったからだった。

メッセージを送り、京都で会い、阪田さんが考案したリーベ式運動あそびプログラムを見学させてもらうことになった。

岐阜県の幼稚園で初めてリーベ式運動あそびを体験したは『これだ!!』と感じた。

「子どもたちってこんな笑顔をするんだ」

ドイツにルーツを持つリーベ式運動あそびは、

  • 大学4年間の幼稚園保育園こども園での運動あそび指導
  • イタリア、レッジョ・エミリア・プローチとの出会い
  • 先輩との再会とリーベ式運動あそび

今まで経験してきたコトがすべてつながった気がした。

運動、スポーツを楽しみ、そして好きになる子をひとりでも多く増やしていきたい。

イメージあそび、ストーリー展開で子どもたちの創造性を引き出し、どの子も否定されることなく認める言葉かけ、時間いっぱい動き続ける展開で子どもたちの笑顔を引き出す運動あそび。

子どもたちの本来持つ能力と笑顔を引き出し、個性と創造性を引き出す。

それができる可能性を秘めているリーベ式運動あそびは今までにない運動あそびだ。

ポーラスター抹茶コーチとの出会い

個人事業主として独立前後にポーラスターの抹茶コーチこと永田さんと出会う

永田さんも会社員から独立してポーラスターで10数年前にサッカー指導をスタートしていることもあり想いが繋がったからだと思う。

ちなみに抹茶コーチと言う名前はぼくのリーベ式運動あそびをサポートしてもらったときに子どもたちがつけた名前。

ぼくがお茶コーチで永田さんが抹茶コーチ。

良い組み合わせだと思っている。

想いを共有していく中で一緒に活動していくことになり、ぼくは今ポーラスターで活動している。

リーベ式運動あそびをきっかけにポーラスターでは、

を合言葉に大人も子どもも楽しい14のプログラムを展開している。

改めて、ごあいさつ

お茶コーチ

簡単なプロフィールになっています♪のぞいていってくださいね

乳幼児運動あそびスポーツ指導のエキスパート

改めまして!

ポーラスターのお茶コーチこと高橋亮祐です!

これまでのぼくの経験と想いを胸にスポーツ・運動あそびで大人も子どもも楽しいをたくさんをつくっていきます。

今までに述べ1万人以上の乳幼児、親子へ笑顔あふれる楽しい運動あそびを指導。笑いありの保護者向け講演会、保育士チームビルディング研修も好評でリピート続出。いつでも遊びがモノをいうを合言葉に子ども特性や発育発達に適した環境づくり(ヒトモノコト)で大人も子どもも楽しい運動あそびを提供中。指導の時はお茶コーチの愛称で皆んなに親しまれています。もうすぐ2児の父(妻、娘1人、息子お腹の中)夕方に娘と公園で遊ぶのが日課。

プロフィールをかっこよくするとこんな感じ。

ただ、指導と言ってもぼくは子どもたちに何かを教えているつもりは全くなく逆に子どもたちから気づかせてもらうことがたくさんあります。

今のぼくがあるのはこれまで、これからも支えてくださっている皆のおかげ。

ありがとうございます。

次にどんなご縁をいただけるのかいつもワクワクしています。

主に担当する乳幼児運動スポーツプログラム

資格

  • 中学校保健体育一種
  • 高等学校保健体育一種免許状
  • アジアビーチサッカーコーチングライセンスLevel1
  • 日本サッカー協会キッズリーダーライセンス

経歴

びわこ成蹊スポーツ大学-アグレミーナ浜松-イタリアフットサルセリエA2-小学校学級支援員-中学校保健体育講師-広告代理店営業-独立-静岡こども福祉専門学校非常勤講師-NPO法人スポーツコミュニティ磐田・ポーラスター

お茶コーチ

今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします♪

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